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ジャズ、クラッシックなど さまざまなジャンルの音楽とそれを演奏するミュージシャンを暖かく応援している日本人の間で今、ひそかに新しい人気を呼んでいる音楽がある。それは
Black Gospel Singing で今日本に住む2人のリーダー Ron Rucker (ニュー・ヨーク出身)と Alexander
Easely (ピッツバーグ出身)は日本人の中にはゴスペルを大変得意とする人がいると言っている。

ラッカー氏とイーズリー氏は2人とも日本に住んで20年になる。ラッカー氏はいろいろな楽器を演奏するミュージシャンでゴスペル音楽を教えている。イーズリー氏はダンサーである。2人ともシンガーである。 イーズリー氏は日本でいくつものアルバムを録音している。
ラッカー氏のゴスペルのクラスの生徒の半数はセミプロの歌手で中にはクラブで歌っているプロの歌手もいる。イーズリー氏は「Rise」というクリスチャンのバンドと共に演奏していて"今、日本の結婚式でとても人気を読んでいる"と彼は言う。そしてさらに、ブラックゴスペルの歌は日本の結婚式において"ビックブーム"となってきていると強調する。日本人がブラックゴスペルに強く引かれるようになったのはそれがもつ特別な感情からであるとラッカー氏は言う。彼は「ゴスペル・ニューズレター」を発行し、ヴォーカルスクール"Vocal
Fitness Center" も西東京で開いている。
"神のスピリット(魂)がゴスペルの中には存在している"とラッカー氏は言う。(Easely
氏もうなずく。2人とも熱心なクリスチャンである。)それは日本人のわび、さびにあたるもので歌詞がわからなくても通じるあの感覚である。それはアメリカの黒人の DNA
の中にきざみこまれた感覚で、厳しく冷たい主人の奴隷として生きたみじめな人生よりもこれからもっとよい生活をしたいという気持ちの表現である。
Black Gospel Singing はアメリカ合衆国のみで広がったもので、そのルーツはイギリスのメソジスト創設者であるCharles
Wesleyの賛美をアメリカの黒人が取り入れ、はじまったものである。Wesley
と彼の兄弟は、賛美歌を発行し、それはアメリカ大陸に取り入れられアメリカの教会でも特にメソジストの教会で使われるようになった。その賛美歌は1799年にメソジストの教会で初めて自由に賛美を行うことを認められた最初の黒人である Richard Allen
(1760-1831) によって African Methodist Episcopal Church で使われた。
"メソジストは黒人が礼拝に集まることを認めた最初の教徒で当時は唯一の教団でもあった。"とラッカー氏は言う。彼等は黒人が教会のバルコニーにすわることをみとめた。黒人奴隷の主人達は自分達の奴隷が読むことを習うことを許さなかったが、集会には必ず誰か、通常はディーコン(役員)にあたる人で、読むことのできる人がいて、その人は賛美の列からぬけ、call
& response
方法、つまり、その人が文章を読み一文ずつ他の人々がそれに答えるといったやり方で他の人に読み方を教え、他の人々が覚えるまで繰り返し行った。
"したがってブラックゴスペルと言うものはただ楽譜にして学ぶことのできるものではない"と彼はいう。それはアフリカで、さまざまな異なる言語を話す黒人奴隷の部族間での伝統的な口頭による伝達方法である。
1900年代初期のブラックゴスペルは初期の Call & Response 方法から"spiritual
music"と呼ばれるもっと具体的な形のものとなっていった。そして北部全体に広がり、特にシカゴでは大変強いものとなり、大きい教会よりむしろ20〜30人のメンバーからなる"store-front
churches"において広がっていった。
"実際、比較的大きい教会ではゴスペルはブルースに似ているため、あまり受け入れてもらえなかった。"とEasley氏は言う。"ブルージーなコードがたくさん含まれていているから。"何が必要だったかというと、"catalyst" つまりブラックゴスペルがもっていた可能性を見極め、それを音楽という形としてすすめていくことのできる人が必要であった。 その"人"となったのが、Thomas
A. Dorsey で、"the father of black gospel"である。
今世紀始め、Dorsey
はアメリカ全土の黒人のバプティストの集会に参加し、E.O.Excellという人の "I Do, Don't You?"
という霊歌を聞き、たいへんな感銘をうけた。それから彼は、それに曲をつけ、それが後に"ゴスペル"と知られるようになる。
そうしながら、Dorsey
はもう一人の黒人歌手であるCharles A. Tindleyからも影をた。Tindley は
Wesleyの霊歌をブラックゴスペルのスタイルにアレンジした。Dorseyは次第にそのクリエイティブな才能が Tindley
ともう一人事務所で働いていたもう一人の女性歌手であるSallie Martin にも認められ"と
Easley氏は言う。そしてDorseyは自分の歌の著作権をとることにより、その使用料で生活できるようにと考え、実際そのようなかたちをとることができた。
ブラックゴスペルの押しかけを願って勤めてきた Dorsey
の努力にもかかわらず、教会はその勢いには続かなかった。教会は通常の礼拝が終わってからのみ、彼に歌うことを許した。したがってDorseyは礼拝のあとに
Sallie Martin ともう一人のトップゴスペルシンガーである Willie Mae Smith と一緒に歌った。
"1940年代にゴスペル・クワイヤができるまでは"ラッカー氏は言う、1940年代はブラック・ゴスペル・ミュージックが大きく目覚めた時期で、それは多くにDwight
Moodyの影響が大きかった。後に、White Gospel
Music、又は今日、黒人ブルースとカントリー・ウエスタン・ミュージックより影響を受けたとされるコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックも広まって言った。
ここ2年間、ブラック・ゴスペルは Whoopee Goldberg 主演の映画「Sister Act」そして Whitney Houston
がゴスペル・シンガーを演ずる最近の映画「The Preacher's Wife」により、より多くの注目を浴びている。
ブラック・ゴスペルの歌手とグループも名を上げてきている。兄弟デュオ、 BeBe &CeCe
は最もよく知られているゴスペル・シンガーの一人で、彼等の音楽は、ポップ・チャートにも人気を上げている。
「すばらしいブラックゴスペルシンガーであるということは必ずしも技術的に歌が上手でなければならないわけではない」とラッカー氏は言う。”むしろ、魂をもって心から歌をっているかということの方が大切で、それはたとえ日本人であってもロシア人であっても人種はあまり問題ではない。”実際アメリカの黒人ゴスペルシンガーの中には
1920 年代にロシアへ渡りそこで根をおろした人々もいる。
”日本において今、私は生徒達にゴスペルのルーツを伝え、ゴスペルとは何か、そして何がそんなに特別なのかを教えゴスペルだけが持つ特別なフィーリングを印象づけていければと思っています。”
Article written by Davis Barrager 翻訳:大島まなみ JAPAN TIMES
APRIL 2,1997
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